1600年頃の日本は超軍事大国だったと言われるようになりましたが、具体的にはどんなでしたか
『信長の野望』という有名なゲームがありますが、1991年10月20日初版発行の『信長の野望・武将風雲録 武将FILE』に、
「戦国日本は世界一等国」
織田信長が、武田騎馬隊を壊滅させた事で有名な「長篠の戦い」。その戦いで使用した数千挺の鉄砲隊の規模は当時世界最大、しかも日本全体では、5~6倍の鉄砲が使用されており、これは全ヨーロッパの鉄砲数より多い。
もちろんその工業力は世界一。
また、イスパニア人の宣教師の記延にも安土城の完成度について、日本の文化度、成熟度を称賛してる…
人口でも当時世界を駆け巡り「悪魔の使徒」と恐れられたポルトガルは150万人に対し、日本は1800万人近くもいた。
結果、当時の日本は世界の一等国と言えるのではないかと推測される。
という記述があって、全ヨーロッパより鉄砲保有量多い説&日本最強説を全国の青少年に吹聴し、戦国時代日本最強説が広まる原因になったのではないだろうか…。
簡単にいえば、言われるようになってません。
超軍事大国・・・・? そんなの勝手に創られても・・。
明王朝の属国だった李氏朝鮮を粉砕するぐらいで、超軍事大国の称号が与えられるなら、冷戦時代の米ソは、何ていいますか?
明や李氏朝鮮なんか和冦でも蹂躙できたわけで、さしたるものではないです。
特に中国の歴代王朝が周辺域で外夷に脅かされるのは恒例行事であり、そんなに過大評価されても、贔屓の引き倒しだ。
戦国末期から安土桃山、江戸初期あたりの日本ですが、それほど強かったわけではないです。大友の杵築城攻防戦とか、島原の乱とかで、西洋の大砲が威力を発揮してますが、日本ではあれは造られてません。小火器は多くても、火砲では著しく劣ったというのが、世界的スタンダードでみた当時の日本の装備の状況であって、依然として遅れてました。
日本の大半の大筒は、西洋のいわゆる大砲とは製造方法が異なり、大型化できないという難点がありましたし、実際、日本では大砲の活用や、砲撃術、砲弾などでほとんど発展してません。大口径の火縄銃の域を、発想でも実用でも、超えるものではなかったのです。
それが築城技術にも現れています。世界が大砲を造っていた時代に、石垣と土壁、高い天守閣という非戦闘向きの防御構築物を造っていました。江戸時代に平和な時代となって完全に統治シンボル化したとはいっても、軍事技術で大きな停滞を迎えたのは、まさに1600年頃からです。せいぜい世界のスタンダードに近づいたと言えるのは、それ以前です。
簡単に言えば
世界一火縄銃を沢山持っていましたね
当時は信長が大々的に火縄銃を登用してから
銃が戦の勝敗を左右するようになりました
おまけに武士本来の戦闘や
大砲も使われだしました
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